睡眠時間が15時間な人の日記

きょうもべんきょーしてないよー(今日も?


ということですっかり都会の空気に慣れきった感のあるzackです。ただ、沖縄が夢のようであったか、というとそうでもなく、しっかり現実味を帯びて残ってます。


今日は勉強をあきらめた(!)のでグダグダと感想でも書きます。めんどいけど、やっぱり記憶が鮮明なうちに残しておかないと、後々思い出そうとしたときに寂しい展開になりかねないし。


初日ー。

しゅうごうじかん一時間前に空港に着き、みんな結構早くついてることを知る。
クラスの友人がスポーツ新聞を朝から買うのに同行。プロ野球の試合が無かった翌日も、うまく紙面を作るもんだなぁ、とか思ったり思わなかったり。

飛行機ターイム!
ぐおーん→ふわっ→てってれー


飛行機の中では富士山を撮影したり、富士山を撮影している担任の頭部を後ろから(ry
あとは「およげたいやきくん」とか「シクラメンのかほり」とか聞いてました。今と昔とアグネスチャンの日本語能力の変わらなさにびっくりしました。要するに日本語はあそこで限界ってことだね!(ぉ


んでおっきなわー

空港の自販機にてやっぱり沖縄は「さんぴん茶」が強いことを確認。とか言ってほかには特に何も無く。まぁ空港だしこんなもんかと思いつつトイレへ。

ぼっとんじゃ無かったよ!(←当然です


んで外へ。あづいですね。ってか太陽高度高いですね。さりげなく太陽が出てたんですが、暑いこと暑いこと。自分の手荷物の黒かばんはすでにあったまって多分中のチョコレートは「ちーん」なんだろうなぁ、とか思いながらバスへ。


バスの中ではガイドさんの「めんそーれ(要約)」もそっちのけで風景を楽しむことに集中。気付いた点をざっと挙げると、

・レンタカーの店が無駄に多い
・化粧品専門店がある
・「最強食堂」というネーミングセンス
セブンイレブンとかミニストップが無い

こんな感じ。後はみんなが携帯ショップとかファストフード店を通るたびに「沖縄にもあるんだー」とか言ってて沖縄のイメージってすごいな、とか思ったり。


最初に行ったのはひめゆり平和祈念資料館。

まずは「ひめゆりの話を聞いて感動して」みたいな人が作った詩だとか彫刻とかがありました。どっか別のところでやれよ、と思ったのは内緒。
んでその次に沖縄戦で無くなった医療従事者の慰霊碑。んで更にひめゆり学徒隊の慰霊碑と、非難していた防空壕の展示。入り口からすぐに暗くなってしまうほど傾斜が急で、こんなところで人が生活していた、ということ自体が驚くべき事実でした。


その後は資料館の中へ。
沖縄戦の大枠や、様々な遺留品などをじっくり見て、次の展示に映ろうというところで、沖縄戦の経験者であろう75歳くらいのおばあちゃんに遭遇。その人が口を開いたので、何か経験でも話してくれるのかと思ったんですが、

「時間が少ないし、ほかにも展示が多いから、もう少し急いで回るといいよ」
とのこと。

ホントは色々話したいことも山積みだったと思います。それでもこんな短時間の見学時間の中で何が出来るか、といえば、その見学が不完全なものにならないように全部の展示を一通りでもいいから見てもらうこと、だったんだと思います。
もしくは、自分がとてもじゃないけど言えないことを展示に言ってもらおうと思ったか。いずれにせよ、時間という障壁が、その距離を作っている気がしてなりませんでした。

んでその後には証言記録と一人ひとりの死亡日時や理由などが写真つきで紹介されているコーナー。
証言記録ならインターネットとかでも知ろうと思えば知れる、との判断で、写真を中心に見ることに。

時代背景のせいもあるんでしょうが、どの写真も目に力がこもっていて、鋭いものが多かったです。色んな思いが伝わってくるようで、胸が痛かったです。
でもそれ以上に辛かったのは、何人かの記録が「死亡日時、詳細ともに不明」という記述になっていたこと。
誰にも知られないところで亡くなって後に発見されたり、はたまた「戦争が終わったけど、生きていることが確認出来ないから死んだんだろう」というような人もいるんだろうな、と。そうやって自分の死んだ様子さえも知られないで亡くなった人がいるということが、当然ありえることではあるにしても、自分には辛い事実でした。


あと、これは資料館の歴史の中にもありましたが、ひめゆりだけがクローズアップされすぎなんじゃないか、ということ。確かに女学生までもが戦争に駆り出された、というのは悲劇です。しかし、そればかりを誇張しすぎて、逆に全体像が見えにくくなっているんじゃないかなぁ、とも。
ああいった悲劇が、沖縄の当時の人口の1/3に起こった、ということにもっとスポットを当てていくべきではないかと思いました。


んで資料館を出て、途中の売店には寄らず一直線にバスへ。友人の話によれば、売店の中では「価値創造的な買い物を〜」とか言ってたとか。しかもどうやら原稿有の放送もしくは録音だったらしいがつっかえていた、とのこと。
個人的にはそこまでして物売りたいなら、もう少しろくな原稿を考えるべきだと思いましたし、もっと繁盛したいなら思考回路自体を変えるべきだろうな、と思いました。ってか観光地のそばにみやげ物店を置くにしても、ここの近くにまでおく必要は無いだろうと。


んで更にバスに乗って、沖縄のスーパー、マックスバリュやモノレールの下を通って首里城へと移動。
モノレールの運転が難しいとか、出来る前は「採算が合わない」とか言われてたけど今は何とかなってる(ここ大事)等々、モノレールについて語ってました。んでその約5分間、バスは信号待ちで動かず。沖縄にも渋滞はあるとは思ってましたが、交通が微妙な発達をしてる分、東京よりも渋滞がめんどくさそうだな、と思ったり。
あとは時間帯によって3本のうち何本使えるかが変わる道路があったり、独特なものがあって面白いなぁ、と。


さて首里城守礼門のしょぼさに驚き。確かに装飾とかは素晴らしいものはありますが、なるほどコレ単独で世界遺産はムリだな、と。そしてパンフレット用の写真を撮る人の「すごそうに見せる」技術ってすごいなぁ、と思いました。(注:ほめてます

城の内部は色々豪華な感じで面白かったです。ただ、そこまで興味を引くものとかは特に無く、まぁ「歴史的に価値があるんだろうなぁ」という感じ。
この辺の文化と今の沖縄の関連性もいまひとつわからずじまいで、なんとなく不完全燃焼。


そしていよいよ夕食へ。とその前に、行きは一車線だった道路が、帰りは二車線になっててびっくり。

夕飯はおそらく沖縄ではチェーン店であろうステーキハウス。そこの10人くらいが座るであろう席に13人座って目の前で焼かれる料理を頂きました。
僭越ながら乾杯の音頭をとったり。今思えば何してんだろ、って感じですが、皆もテンションの為かついてきてくれたので良しとします。
肝心の味ですが、目の前で意味のわからないすごいパフォーマンスを見せられたせいもあるのか、とてもおいしかったです。ってかスープがおいしかったです。「金時豆のスープです」とか言ってたけど、コレメインの味金時豆関係ないんじゃないか、とか思ったとか思わなかったとか。

まぁずっと「おいしい」「おいしい」言ってました。でもそれ以上に「せまい」「せまい」(ぁ

そして姉からパクってきた(ry借りてきたデジカメは初日にして容量オーバー。もう、なんか、いいや(ぇ


んでホテル。ホテル内のコンビニで500mlのペットボトルが200円で売ってました。コンビネクスペンシブストア?(違います
そこで劇で使えそうなゴーヤチップスを購入。とても苦そう。(写真なし(ぇ

のんびりしたあと全体で集まって初日の総括と明日の連絡事項。空港でまずいことがあったらしく、翌日の集会が中止の可能性があるとかなんとか。
最終的には、やる、とのことでしたが、その日は劇の練習も出来ずじまい。そしてなんとなくゲームを立ち上げる気にもならず(?)、パソコンを借りて将棋をやったりして(?)、沖縄のローカルニュースを見て、沖縄のクオリティが半端ないことを実感して結局2時ごろ就寝。え?おかしいところが2個くらいあるって?なんのこと?(ぉ


ということで軽く一日目を振り返ってみました。2,3日目は近いうちに書けたらなぁ、と。